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→下落相場でも着実に年利50%を達成!プロのトレード戦略とは

相互リンク大募集!

2006年05月27日
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保田の年表

2006年05月10日
1980年
北海道札幌市にて生まれる。父親は銀行員だったため、転勤が多かった。2月の雪の降る深夜に生まれたそうです。両親に感謝!

1986年
東京の郊外の公立小学校へ入学。当時本当に暑がりで、入学式は一人Tシャツ、短パンで出席し、母親は恥ずかしい思いをしたらしい。その後、小学校4年生まで、真冬だろうとTシャツ、短パン、素足で過ごしていたらしい。
その甲斐あってか、今も風邪はほとんどひかない。

1992年
地元の中学校へ入学。小学生のころは全く勉強しない子どもだったが、高校受験を意識し、学習塾へ入塾。入塾テストの結果は偏差値38。さすがに勉強しなくてはと思った記憶が、うっすらではあるが、残っている。
しかし!その後、先生の指導のおかげで、勉強が好きになる。やればやるだけ結果が出る。そんな世界が好きになった。
熱心に指導してくれた先生、そして塾に行かせてくれた両親に恩返しがしたくて、難関高合格へ向けてがんばった。

1995年
早稲田大学高等学院入学。自分よりも勉強ができるやつばかりで、衝撃を受けた。付属高校で受験がないため、目的を失った。
普通の高校にはないであろう、ヨット部という存在にひかれ入部を決意。はじめての合宿生活に慣れるのには時間がかかった。同時期に入部した他の5人は、1人を残して全員2年生で辞めていった。ヨット部の厳しさと、あそびたいという衝動が理由だった。
僕はヨットを自在にあやつる大学生の姿に強い憧れを持ったため、無事最後までヨット部をやりぬくことができた。

1998年
早稲田大学商学部入学と同時に、早稲田大学体育局ヨット部の門をたたく。
大学のヨット部の厳しさは、高校生の時肌で感じていた。でも厳しい大学生達に強い憧れを持った僕は、迷わずヨット部へ入部。
1年生、2年生と、部のエース級の選手とペアを組み、激しく、しばきあげられる。(笑)
あまりのつらさに、ヨットから海に飛び込み逃げようとしたり、合宿所を抜け出したり。とにかく、つらかった。

2001年ヨットはへたくそだったが、「へたくそなキャプテンの方が、みんな一つになれるだろう。」という思惑あってか、同期、監督から主将に推薦される。
高校時代にインターハイを経験していないものがキャプテンになるのは、実に10年ぶりのことで、プレッシャーは大きかったが、言い渡された時は嬉しかった。
僕以外は、皆優秀な選手であったその年の早稲田は、関東では敵なし、全日本学生選手権では総合3位という結果に終わった。


2002年
日本生命保険相互会社入社。ヨット部引退直後からペリカン便ドライバーのアルバイトを開始し、入社時にはすでに稼いだ100万円で株式投資を行っていた。
保険会社に入社したにも関わらず、保険には一円も使わず、給料の大半を投資に回す駄目な奴だった。
就職活動はほとんどしていない。つまり運動部つながりでの採用であったため、希望であった、運用セクションには当然配属されず。埼玉の支社に配属されることとなった。

自分の仕事はExcelを使った資料作成がほとんどであったが、保険営業の厳しさを垣間見るとともに、保険という金融商品の限界を感じた。
仕事は朝早くから深夜におよび、休日出勤当たり前。ものすごい閉塞感を感じると共に、一生この会社に勤めるのは絶対に嫌だと思った。

仕事は強烈につまらなかったが、投資は順調だった。追加投資できたこともあるが、1年で資産は500万にも膨らんだ。

2003年
入社2年目。異動の時期が来た。運用セクションへの異動を熱望するも、かなわず、営業の中枢セクションへ。支社時代に輪をかけて閉塞感の強い職場であった。辞めたいと思わない日は、1日たりともなかった。
サービス残業に疑問を投げかけたりする協調性のない社員だったため、上司に相当怒られた。相当なストレスから、昼休みに近くの公園でビールを飲んだりしながら、仕事していた。散々悩んだ末に退職を決意。
順調な運用により築き上げた1000万を使って、金券ショップのフランチャイズに加盟することにした。しかし退職日になっても、出店場所は決まっていなかった。

2004年
退職後、社内システムのメンテナンスを担当する派遣社員となった。
時給は1500円だったが、幸せだった。同僚はいい人ばかり、プライベートの時間もある、仕事も人の役に立てる仕事。フランチャイズでの独立を待つには、最高だった。
ただ、出店は決まらない。
痺れを切らし、一人でセミナービジネスを立ち上げる。

自分で講師をやって、集客してというスモールビジネスであったから、それなりに順調に推移する。ただし、一人でやる事業には、やはり限界があった。

ひょんなことから、エンジュクという会社を経営する長谷川という男性と出会い、散々悩みぬいた末に合併を決意。取締役副社長に就任。(といっても2人しかいなかった。)
以降、文字通り業務に邁進する。


2005年
エンジュク急成長。社員数はわずか1年で10名になる。
あまりの急激な成長であったため、色々と問題は山積みであったが、とにかく全力で突っ走った。ビッグセミナーを何度も手がけたし、人に誇れる仕事も沢山できた。
お客様、講師、そして、一緒に働いてくれたみんな。そして長谷川。
感謝しても感謝しつくせるものではない。ありがとう!

2006年
ジム・ロジャーズ氏(外国の超メジャーな投資家)を招き、正月明け早々から、2000名というビッグセミナーを開催。NHKに取材される。


以降2006年5月10日現在は未来年表
※当日記は保田の私的な日記であり、投資家および、顧客、関係先に、当社の成果を保証するものではありません。ご了承ください。

2006年6月
新会社「インターネット・インベストメント・テクノロジー」を立ち上げ、代表取締役に就任。サービスが日本の個人投資家の話題となる。
投資情報提供ビジネスで成功を納めたIITは、満を持して投資事業に進出。ファンド業界の注目の中、苦戦はするものの、優秀なパートナーの活躍により、投資事業も無事立ち上がる。

2009年1月
東証マザーズへ上場。IITは更なる成長ステージへ

保田望のプロフィール(自己紹介)

2008年08月28日
保田望.jpg

インターネット・インベストメント・テクノロジー株式会社 代表取締役CEO

・早稲田大学商学部卒業。高校、大学と早稲田大学体育局ヨット部に所属し、大学4年時は主将としてチームを牽引する。

・大学卒業後、日本生命保険相互会社に入社。2年間営業の支援部門にて保険の販売手法教育・支援業務に従事。AFP資格取得。

・日本生命退職後、数ヶ月間派遣社員としてシステムサポート業務を行いながら、本物の資産運用教育を追求するため、マネーカレッジを創業。3ヶ月間活動後、2004年10月にエンジュクと合併し、取締役に就任。数々の大型セミナーの企画や投資研究会の発足に成功する。

はじめまして

2006年04月30日
はじめまして。保田望(やすだのぞむ)と申します。
簡単に自己紹介します。
1980年2月23日生まれで、現在26才。


趣味は投資で、仕事は投資教育を行う会社を経営しています。
昨年、一昨年の日本株の好調さに助けられ、現在は個人資産として、約6000万を運用しています。
投資スタイルとしては、ファンダメンタルズ分析に基づく日本株への中長期投資です。
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